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ミシュランの創業者ミシュラン兄弟が世界一のタイヤ会社を作るまでの歴史とは?

ミシュランロゴ

 アンドレ・ジュール・ミシュラン(1853年1月16日– 1931年4月4日)と弟のエドゥアール・ミシュラン(1859年6月23日-1940年8月25日)のミシュラン兄弟は世界的なタイヤメーカーであるミシュラン社の創業者です。同社は農機具メーカーから始まり、タイヤメーカーとしては世界一位(2020.12期売上高約204億ユーロ)となり、ミシュランガイドの発行元としても著名な会社です。

ミシュラン業績推移の画像

 今回は、世界一のタイヤメーカーを作り上げたミシュラン兄弟の生涯を辿りながら、どのようにして一代でそこまでの企業を作り上げたかに迫っていきます。

目次

ミシュラン兄弟が農機具メーカーを引継ぐ

 1886年、33歳のアンドレミシュランは、エンジニアとして成功したキャリアを捨てて、祖父が創業したミシュラン・エ・シーという農産物および農機具の事業を営む会社を引き継ぎました。

 その会社はミシュランの祖父によって1832年に設立され、農機具や、ドライブベルト、バルブ、パイプなどの加硫ゴム製品のメーカーでした。その祖父の死後、事業が上手くいっておらず、倒産の危機に瀕しているところを何とか救うために創業者の孫であるアンドレ・ミシュランが会社を継いだのです。

 アンドレが会社を引き継ぐと、芸術家としてのキャリアを歩んでいた弟のエドゥアールを会社に誘いました。そして、入社したエドゥアールは同社マネージングディレクターに就任しました。

1889年、会社の命運を変える大きな転機が訪れます。

自転車のタイヤメーカーへの変貌

一人のサイクリストがパンクした自転車用タイヤを修理するためにミシュランの工場を訪ねました。それは最新の空気入りタイヤを装着した自転車でした。

その当時よく使われていたのは芯までゴムが詰まっているソリッドタイヤで、道が少しでもデコボコしているとサドルで激しく跳ね上げられるなどあまり乗り心地が良いものではありませんでした。一方、空気入りタイヤはソリッドタイヤに比較すると格段に乗り心地が良いのでした。

※この空気入りタイヤが誕生したのは1888年。イギリスのジョン・ダンロップが、デコボコの道で転びやすい息子さんの自転車のために、車輪に空気を入れたゴム袋を巻き付けたのが始まりと言われています。

しかし、そのタイヤにも大きな難点がありました。木製のリムにしっかりとノリ付けされているため、取り外しがきかず、パンクしてしまうと、しっかりとした修理器具が必要で、手引書を読みながらかなりの時間をかけて修理に悪戦苦闘することになるのでした。

 修理している様子を見て空気入り自転車用タイヤの可能性と大きな課題を感じたエドゥアール・ミシュランは、この出来事をきっかけに自転車用タイヤの開発を進めていきます。

 ミシュランは、それまでのリムとタイヤは一体という常識を覆し、ホイールの取り外しのきく空気入り自転車用タイヤの開発に着手します。ソリッドタイヤとは比べて、かなりのスピードの出るのに加えて、乗り心地も良いタイヤ。しかも、パンクの修理は専門家の手を借りずにパンクしたチューブを短時間で交換できる。この革命的なタイヤ開発にミシュランは2年という歳月をかけ、1891年夏までに3件の特許を申請しました。

 そして、完成したばかりの新製品を世に問う晴れ舞台が、同じ年の1891年9月に訪れます。

 世界最古の自転車レースである「パリ・ブレスト間往復レース」である。大衆向け日刊紙プチ・ジュルナル社が主催、1台の自転車で全コース約1,200kmを走破しなければならない耐久レースです。当時フランスには無数の自転車メーカーがひしめきあっていた。それぞれが、期待をかけた選手たちに自社の自転車を提供し、その勝利に社運をかけてレースに臨んでいました。ミシュラン社はシャルル・テロン選手に命運を託しました。熾烈な戦いの後、パリに最初に戻ってきたのはミシュランのテロン選手でした。往復に要した時間は71時間18分で、2位の選手に8時間もの大差をつける圧倒的な勝利でした。

 この勝利をきっかけにミシュラン社は自転車用タイヤメーカーとして、確固たる地位を築きました。そして、その成功を自動車にも転用し、世界初の自動車用の空気入りタイヤ開発も進めていきます。

世界一のタイヤメーカーへの進化

 1895年のパリ・ボルドーレースに空気入りタイヤの自動車で参加。この時、途中で何回もパンクしたため、レースはリタイヤしましたがソリッドタイヤの2倍ものスピードが出るということで、その後、たくさんの車が空気入りタイヤを採用するようになりました。

 そこから急速に自動車のタイヤにもミシュラン製のタイヤが浸透していき、1896年には約300台の車がミシュランの空気入りタイヤを使うようになりました。

 1900年にはミシュランガイドを発行しました。この目的は、車での観光を促進し、それによってミシュラン社のタイヤ販売促進をすることでした。

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 こうして、自動車用タイヤメーカーとしても不動の地位を築いていくとともに自動車産業をリードする存在になっていきます。

 1934年には当時世界2位の規模だった自動車メーカーシトロエンを破産に伴い買収。息子のピエールとその右腕であるピエール・ブーランジェとともに立て直し、シトロエントラクション、革新的なシトロエンTUB / TUCライトバン、2CVなど革新的な車を開発しました。

その開発された車が基礎となり、戦後の1940年代から1950年代において評価され、ヨーロッパで最も革新的な自動車メーカーの1つとしての地位を確立していきます。

一代にして、世界一のタイヤメーカーを作り上げた、エドゥアール・ミシュランは1940年8月に死去しました。

今でも、ミシュラン社はブリヂストン社と世界中で鎬を削りながらも世界トップの地位を維持しています。

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この記事を書いた人

中国在住のビジネスパーソンや中国人などの複数名で中国に関する有益な情報を丁寧に解説します。

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