2021年11月30日、グルメガイド『ミシュランガイド東京2022』(日本ミシュランタイヤ/12月3日発売)の掲載店が発表となった。2007年に創刊し、東京版は今年で15周年を迎える。料理人にとって掲載されることが勲章となっている『ミシュランガイド』は世界一タイヤ売上高を誇るミシュラン社が発行している。

ミシュランガイドの初めて発行は1900年と100年以上前であり、元祖オウンドメディア、現在まで続く最古のオウンドメディアとも言われています。今回は、何故タイヤメーカーがミシュランガイドを発行しているのか、その歴史と意義を紐解いていきます。
タイヤの販売促進のためにミシュランガイドが生まれる
ミシュランガイドが初めて発行された1900年当時のフランスでは3,000台にも満たない車しかありませんでした。
タイヤメーカーを経営していたミシュラン兄弟は、郵便局や電話の位置まで示した市街地図のほか、都市別のガソリンスタンドやホテルの一覧、さらにはタイヤの修理や交換方法、自動車整備士のリストなどの情報を掲載したドライバー向けのガイドであるミシュランガイドを約35,000部を印刷し、タイヤを購入したドライバーに無料で配布しました。

当時はまだ車がほとんど普及していなかった時代でしたし、ドライブするという体験自体も快適なものではありませんでした。
ガス欠、車両故障、タイヤのパンクしてしまう状況だったので、それを恐れてドライバーが遠出をしなかったり、富裕層がステータスとして所有しているだけといった状況でした。
タイヤを販売しているミシュランからすると、安心して遠くまで車で出かけてもらえるようにならなければ、タイヤの買い替え需要も発生しないとの考えがありました。
そういった背景があるため、ガソリンスタンドの場所やタイヤの修理・交換の方法、自動車整備士の情報がミシュランガイドには記載されていました。ホテルの情報も宿泊を伴うドライブを推進するためのものでもありました。
ミシュラン兄弟が「もっと楽しくクルマを運転してもらいたい」「遠くまで快適にドライブしてほしい」と考え作られたミシュランガイドは、そのユーザー体験を通じて自分たちの事業である自動車タイヤの販売促進しようという思いのあるサービスでした。
1900年に発行されたこのミシュランガイドは、1904年にはフランス国でのミシュランガイドの発行をベルギーにて行い、オランダなど、ヨーロッパ全域へ広がり、1909年には英語版も発行されました。
1911年には国というくくりではなく、エリアとして「アルプスとライン川版」や、フランス・コートダジュール、コルシカ島、イタリア、北アフリカ、エジプトを網羅した「太陽の国版」が出版されています。
第一次世界大戦に伴い1915年から1918年まで出版が中断したものの、終戦後には旅行ガイドブックのシリーズとして『古戦場案内』も刊行されました。
このころ、ある修理工場を訪ねた際に傾いた作業台の足代わりとして数冊のミシュランガイドが地面に積み重ねているのを見かけたミシュラン兄弟は、「人間は金を払って買ったものしか大切にしない」と考えそれまでの無償配布を中止し、1920年からは有償での販売となりました。
ミステリーショッパーによる評価制度の開始
1926年には評判の高い料理を提供するホテルに星をつけるシステムがスタート。星の数は当初の1つ星のみから、2つ星までとなり、3つ星による評価制度はフランスの地方で1931年、パリでは1933年に導入されました。そしてミシュランの社員である調査員が匿名でレストランやホテルを訪ねるようになったのもこの頃です。
*1931年にガイドの表紙が青から赤に変更され、それ以降のすべての版でもその状態が維持されています。
「一つ星:そのカテゴリーで特においしい料理」
「二つ星:遠回りしても訪れる価値がある素晴らしい料理」
「三つ星:そのために旅行する価値がある卓越した料理」
ここでのミシュランガイドの評価基準は、料理の種類・カテゴリーに関係なく以下の5点です。
①素材の質
②調理技術の高さと味付けの完成度
③独創性
④コストパフォーマンス
⑤常に安定した料理の一貫性
評価するのは、あくまで皿の上の料理だけで、店の雰囲気や装飾の善し悪し、サービスなどは一切関係ありません。各レストランの評価については、調査員、編集長、ガイドブックの総責任者が議論し、合議の上で決める。従って、編集長が代わったから評価が変わるといったことは、決して起きません。
匿名調査でミステリアスなイメージのみが先行してしまいがちですが、一番の目的は、「一般のお客様としてサービスを受けること」。調査員も、一般の方も、同じ条件で過ごせる。つまり、本当にドライバーたちが快適に過ごせるような情報を提供する、という目的が生き続けているのです。
そのような精神のもと、正確で忠実な情報を載せていたミシュランガイドは、その正確さと膨大な情報量を評価され、第二次世界大戦中の1944年には連合軍の要請により、連合軍のガイド(1939年のフランスガイド)としても使われるほどのクオリティだと評価されました。
第二次世界大戦に伴う1940年からの出版中断を経て、1945年に登場した改訂版では戦争で破壊されたレストラン・ホテルが点線で示されました。1950年版からは星による格付けが再開されました。
1956年、初めてのフランス国外版として「北イタリア」版ガイドが創刊され、ベルネクス版、スペイン版が続いた。
ミシュランガイドの拡大路線
2004年、第6代総責任者にジャン=リュック・ナレが就任して拡大路線を進めていきます。
2005年には、初めてヨーロッパ以外を対象とした「ニューヨーク・シティ」版が登場、3つ星レストランがわずか4軒、しかもすべてがフランス人シェフの店だったことで物議を醸した。その後アメリカ合衆国では、「ラスベガス」「ロサンゼルス」「サンフランシスコとベイエリア」の各版が続けざまに加わった。2007年には欧米以外では初となる東京版(2011年版からは東京・横浜・鎌倉)が、2008年には香港・マカオ版が、2009年には京都・大阪版(2011年版からは京都・大阪・神戸)が、2010年11月にはシカゴ版が刊行されました。
ただ、本来のミシュランガイドは一度発売したら毎年改訂版を出す方針であるのに対して、日本においてで発売されている特別版は1回限定で継続調査が無く、オーストリア版は売れ行き不振から廃刊、2010年以降ラスベガス、ロサンゼルス版は経済的事情により休刊となるなど、安定しない運営方針で権威の低下を招いている、という声もあります。
また、オンライン化の波に乗り遅れたガイド・地図事業自体は、ミシュラン全体の売上の1%に過ぎませんが、毎年約20億円の赤字となっており、現在はデジタル・トラベル・アシスト部門と統合されました。2010年にアクセンチュアがコンサルティングを行った際には「廃刊」まで含む3つのシナリオが提示されたそうです。
なお、この拡大路線を推進したジャン=リュック・ナレは2010年いっぱいで退任しました。後任の選定は遅れ、2011年8月にミシュランの2輪タイヤ販売部門の副社長だったニューヨーク生まれのアメリカ人、マイケル・エリス(Michael L. Ellis)が就任しています。
我々の軸はもちろんタイヤビジネスなので、ミシュランガイドで儲けようという戦略はありません。日本では売上全体の1%にも満たないですね。だから、ガイドによって大きな利益を上げようということはなく、とにかく続けることに意義があると思っています。もちろんたくさんの人に届けたいと思っていますが、売上だけに価値は置いてないんです。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/45506
このように創刊から現在に至るまでミシュランガイドはミシュラン社のビジネスの本丸であるタイヤ販売のためのPR・ブランディング・認知拡大のために活用されています。
(画像参照元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89)
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